川崎駅構内という聖堂
2006年 07月 26日
先日情報屋某が帰宅途中「すごいカッコイイもの見た」とメールをくれたのでどれどれ?と見てみると外国人のストリートミュージシャンだった。
アコギでめっちゃ格好良かったらしい。
そして添付してくれたiモーションは一瞬で終わったので「う、うん?」という感じだったのだが、同時に送ってくれた写真を見るとなるほど、チャラチャラしたワカモノミュージシャンとはまた一線を画す良さがあるな。
そんなメールを見てふと思いだした僕が「そういえば、僕は昔ストリートミュージシャンからCDを買ったことがあったよ」というと「‥‥今買っちゃった」という事であった。
(注意>情報屋某、僕にも聴かせるように)
今僕が住むこの街はあまりストリートミュージシャンを見かけない。時々見かけても雑踏でがなっているだけで今一つパフォーマンスとしてはどうかと思う物がほとんどだ。
実はストリートパフォーマーを見るのが結構好きだった僕は、ちょっと寂しくも思ったりする。
ストリートではステージを見に行ったときには味わえない一体感や、即興性がある。良ければ素直に思いきり拍手をして感動の代価として小銭を進呈したりする。悪ければ時間の無駄だねと、曲中でも帰ってしまう。そういうお互い対等に投げ、受けとれる場所だと思う。
今から‥‥そうだね、12年程前の話しだろうか。
僕は帰宅途中川崎に立ちよっていた。無印や本屋をまわり、ゲーセンでちょっと(かなり)遊んで終電まぎわに帰るコースだった。
川崎駅は当時ホームレスなどで終電まぎわは大変雰囲気が悪かったから、この頃は1、2本早めに帰ることにしていた。
駅に近付いたときだ。小さな人集りと何か「音」が聞こえた。
‥‥なんだろう。
僕はその人集りに向かって歩く。音が大きくなる。
聞いたことのない音だった。
弦楽器というのはわかる。しかしギターやハープ、琴、どれとも違う。もっとこう、ピアノの弦を直接掻き鳴らすような音。
どこか機械的な無機質な。しかし冷たくはなくかなり情緒的な。
そうだ。
ゲームの教会やイベントの時になる音楽はこういう感じかも知れないと、その時思った。
機械的で無機質だが、その音楽の持つ意味あいはとても感情的な音楽。イベントの内容と共に心を鷲掴みにするような切羽詰まった感情。
僕は僕の鼓動が高鳴るままに人ごみの中心に向かって進んだ。幸いぎゅうづめではなかったからすいすいと前へと進むことができた。
そこにあったのは、見たこともない楽器だった。
台形の薄いケースの上に弦が張ってある。
男はギザスプーンのようなものでその弦をリズミカルに、そして的確にすばやい動きで叩いていた。それで音が鳴るようだ。
そしてそこから出る音は、どこまでも澄みきった音だった。
‥‥そうか。
僕は思った。
この音は人の手が触れないから、こんなにも響くのだ。人が触れるとそこから振動は吸収され柔らかい響きで拡がる。有機質な物は音を吸収する。木や、竹。それらは音をまろやかにする。
しかし固く張った弦と、金属の打器。そこには何の干渉も起きないのだ‥‥。
僕は音に、音楽に聴きいっていた。
白人系の細い青年は体でリズムをきざみながら、観客を見ることもなく次々音楽を奏でていく。
ともすれば気弱にすら見えるほどにやさしい顔だちの青年は、しかし誰も近付くことが出来ないような神聖なオーラを放っているかのようだった。
そして今、川崎駅構内は「聖堂」となっていた。
広いホール、高く続く階段、中央に並ぶ柱。内部から白くあわい光。外に闇。
今ここは常世から神々の世界へ上がるための祈りの場であるのだ。
高い天井と上へ下へと連なる階段は彼の音楽をさらに響きわたらせ、反射した音がまた僕を包んだ。
僕はいったいどれくらいこうしていたのだろう。
耳に残る響きを反すうしながら僕はまだ動けないでいた。
いつのまにか彼のまん前で立ち尽くして音楽を聴いていた僕は、彼が楽器をしまう動作でこの世界に戻ってきた。
打器をしまうと彼は照れ臭そうに遠慮がちに、立ち尽くす僕ら観衆の前に小さな箱とCDを置いた。
そして僕らを見てちょっと微笑むと何も言わずにまた楽器の場所に戻り、帰り支度を始めた。
誰からと言うこともなく、僕らはふらふらと進みでると小さな箱にお金を入れCDを一枚大事そうに鞄にしまった。
僕も箱に1000円札を入れると、そぉっと一枚CDを手に取った。
耳の中にはまだあの音が響いていた。この音を手に入れたかった。
帰宅して早速CDを聴いたが、あの感動はなかった。
あれはあの場所で、彼が居て実現した物だったのだろう。
しかし後悔はしなかった。これは僕が彼に出逢った大切な記念なのだと思った。
‥‥そして、今。
あれからあのCDは聞くことがなかった。
あのCDはただ「証」であり、その音は僕をあの感動に連れて行ってくれることはない。CDはそのままラックの中で位置すら変わることもなくただ存在し続けた。
僕はいつしかCDの存在も忘れあの感動も、忘れていた。
しかし今回、ひょんなことから彼のことを、あのCDのことを思いだした。あの時の光景をまざまざと思いだした。あの感動も。
僕はラックの隅からCDを取りだし、パソコンへと挿入した。
--情報を検索しています--
あるはず無いさ。僕は思いながら画面を見ていた。僕は彼を無名のストリートパフォーマーだと思っていた。
ヒットした。
曲名、アーティスト名、アルバム名が表示される。
僕はそのアーティスト‥‥あの青年の名前を検索する。
Dave Neiman
10年以上知らないままだった。
「Dave Neiman : SPECTRUM」
僕のCDラックに、宝物の輝きが復活した。