本当にろうそく出されても文句言えないだろう?
2006年 08月 08日
七夕なので叔母宅にてのんびりご飯。
食後煙草を吸いに行こうと思ったら「やめときなさいな」と。なんでだい?いつも気にしないじゃないの。
「見つからないようになさいよ」
「何に?」
「‥‥ろうそくだせ」
前は普通にやっていたらしいんですが、この頃のオコサマは「金じゃないと喜ばないから嫌になった」という。
インターフォンがあるんだけどね、それを何げに通話にして忘れてたんだと。そうしたら「何もらったー?」「なんだよお金じゃねーの?」と聞こえたからもう嫌なんですってよ。
まあ、わかるな。荒んでるねえ。
そもそもねえ、僕らがお子様の時には親がきちんと子どもに言っていたもんです。
「あそこから向こうは、お隣の町内だから向こうは行っちゃ駄目よ」ってね。
今はボーダレスの時代とはいえ、四方からやたらめったら来られるのもちょっと困りますよ。
いわんや、チャリで遠征してこないでくれませんかね。
正直何処の誰ともわからない見ず知らずのお子さんに、始終呼びだされて対応するほど暇じゃないんです。風呂に入っても良いですか?まだ駄目??
いったい何時までするつもりなんだね。
そもそもお菓子の数も町内のお子さんの数でだいたい予測付けて用意してあるんですよ。多少は多めにしても。時々従妹が来てたから、何て事もありますからね。まあ最近は入れかわりが激しいので予測不能な部分もありますが。
しかしねえ。教会の慈善事業じゃないんでねえ。
叔母が言うに「良くない習慣になった」と。
そうね、金はよろしくないですね叔母さん。お金だと用意するの便利だけどなんかイヤラシイよね、物乞いじゃないんだから。
あとねえ、ろーそくだせって歌う前にインターフォン押すのやめてくれないかね。
それはなにかい?開演前のブザーか何か?
そんなわけで僕は足音の途切れたすきを見て姿勢を低くして家の裏手にまわり、煙草の火が見つからないようにまわりを伺いながら一息入れ、木々の陰に身を潜めながらじわりじわりと玄関に忍びより、帰還したのであった。
‥‥ゲリラですな。
まあ年に一回くらい、こうしてゲリラごっこをするのもいいか。
それとも来年は「本日の営業は終了いたしました」の札を下げておくことを叔母に提案しようか。
身を潜めて煙草を吸っている途中、チャリに乗った
「これから?もう帰るの?」
「いや、もう一回りしてくるかなと思って。ここ行った?電気付いてるよね」
「いや。でもここ、オバケいるって」
‥‥‥‥オバケは居ませんがゲリラならいますよ。